子供を守るrealhumanrightsissues

子どもへの暴力と子どもの人権
――昭和40年代、私のオイルショック――

1.序章

私が小学生だった昭和40年代、日本はオイルショックの渦中にあった。

私たち家族は、貧しくもなく、かといって豊かでもない、ごく普通の生活を送っていた。

家族構成は、父、母、そして私の三人である。

2.昭和40年代、私のオイルショック

父は事業経営者で、当時の業績は順調だった。仕事で外出することもあったが、多くの時間を自宅で過ごしていた。

私は学校から帰ると、父と一緒に神社や公園で遊ぶのが日常だった。

友人の家庭では共働きが多かったが、母は仕事をせず、家でテレビを見るなどして過ごしていた。

食事は主に父が用意していたが、父が母に不満を口にすることはなかった。

私は父を深く慕い、将来は父のような人間になりたいと心から思っていた。

ある日、母の姉である叔母が家を訪れ、父に金銭の援助を求めた。

「以前貸した十五万円も返済されていない。これ以上は貸せない」

と、やや語気を強めて話す父の声を、隣室にいた私は聞いていた。

子どもながらに、その金額の大きさを強く印象づけられ、今もはっきりと覚えている。

母は叔母とともに父を非難したが、私は父の判断が正しいと感じていた。

「父さんが正しい。母さんが父さんに謝らないのは、僕には理解できない」

そう母に伝えたとき、父は黙って天を仰ぎ、母は無言で私を見つめていた。

数日後、父から仕事のため二、三日帰宅できないとの連絡があった。

その夜、母は糸切りばさみを私の目の前に突きつけ、低い声で脅した。

私は恐怖から逃げようとしたが、すぐに追いつかれ、室内で転倒した。

母は私に覆いかぶさり、糸切りばさみで私の頬を切った。

出血し、私は泣き叫んだ。壁やおもちゃ箱の周囲に血痕が残った。

直後、母は何事もなかったかのように、私の頬に絆創膏を何枚も重ねて貼り付けた。

翌日、父が帰宅した。

母は「このことを父に話せば命に関わる」と私を脅し、私は何も言えなかった。

母は父に対し、壁の血痕について「赤インクが付着した」と虚偽の説明をした。

父は深く追及することなく、日常生活に戻った。

しかし父は、やがて私の頬の傷に気づき、母に理由を尋ねた。

母は答えなかった。

その後も、父と私は公園で遊び、私は父と過ごす時間に安らぎを感じていた。

一方で、父が叔母への金銭援助を断った日を境に、母の態度は一変した。

父の不在時、母は暴言を浴びせ、私に暴力を振るうようになった。

それまでの母とは、明らかに異なっていた。

私は耐えきれず、ある日、父と母の前で「母は嘘をついている」と訴えた。

しかし父は何も言わず、母は沈黙した。

翌日、母はさらに大きなハサミを持ち出し、私の右目付近に向けた。

私は強い恐怖を感じ、生命の危険を覚えた。

母は私の右目の下の頬を、ゆっくりと切りつけた。

私は痛みと恐怖で叫び、泣いた。

その後、母は再び絆創膏を何枚も重ねて貼り、「父に話せば命はない」と改めて脅した。

3.事件とその後

翌日、父は私の傷を見て理由を問いただした。

「母に切られた」

そう答えた私は、感情を抑えきれず「もういい」と叫んだ。

父は直ちに私を病院へ連れて行き、警察へ通報した。

私は警察に対し、母に追われ、ハサミで切られた事実を説明した。

その日の夕方、多数の警察官が自宅を訪れた。

母は錯乱状態となり、叔母を呼び寄せた。

叔母は、警察関係の仕事に従事していた女性を同伴して現れた。

二人は、私の証言とは異なる説明を警察に行った。

父と母の夫婦喧嘩の延長で、父が母を悪者に仕立てるために事件をでっちあげたのだと、強く主張した。

警察は私を父から引き離し、叔母の家へ移送した。

私は私物をすべて自宅に残したまま連れて行かれた。

私は真実を訴えたかった。

しかし、母への恐怖から、言葉を失っていた。

4.最終章

現在、私は父の事業を継ぎ、家族とともに安定した生活を送っている。

二人の子どもは大学を卒業し、国家資格を取得し、それぞれ社会で働いている。

過去を取り戻すことはできない。

しかし、同じ経験を次の世代に繰り返してはならない。

子どもへの暴力は、家庭内の問題ではなく、人権侵害である。

その後、母の父である祖父から、学校の先生を通じて、私宛に一通の手紙を貰った。

当時、私は未成年であり、母も同居していたため、直接のやり取りは難しい状況にあった。

その手紙には、母と叔母の説明が事実ではなかったことが、祖父自身の言葉で記されていた。

祖父の手紙の影響もあってか、学校の先生は私に細やかな配慮をしてくれていたように、今になって思う。

その手紙は、今も大切に保管している。

あとがき(現在の視点)

この文章を書き終えた今、私は当時の自分を、少し距離をもって見つめ直している。

子どもだった私は、それが暴力であり人権侵害であると理解できなかった。

この記録は、誰かを糾弾するためのものではない。

「自分の恐怖は、間違っていない」

そう思える子どもが一人でも増えることを、願っている。

過去は変えられない。

しかし、未来に同じ沈黙を繰り返さない選択は、今も私たちの手の中にある。

祈りの言葉

日本だけでなく、世界中の子どもたちが、
恐れや不安にさらされることなく、
安心して、尊厳をもって生きていける世の中でありますように。

声を上げられない子どもの沈黙が、
見過ごされることのない社会でありますように。

そして、大人である私たちが、
子どもの命と心を守る責任から、
決して目を背けることのない未来でありますように。


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